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  ■ヒューマングローブ研究所が考える「医服」

●俳人が持っていた「医服」の知恵

松尾芭蕉は全国を旅し、縄文の哀歌を句にしました。
その際、身に着けていたのは和紙の着物でした。
特殊な薬草で染められた、細胞を癒す医服だったのです。
風景を観て、左右の脳を交信させ、間脳で極小文体を用いてまとめる句を生む
脳の調整も、医服の支えがあったからかもしれません。


●伊達政宗も、「医服」を着ていた

伊達政宗を称して、伊達男といいます。彼は、和紙に薬草を染み込ませた、生体を癒す最上級の医服を日頃から見につけていたのです。心身は常に安定し、潔く規律正しい
立ち居振る舞いが生まれたのでしょう。
現代でも、仙台でこの和紙と薬草の医服づくりの技術は、無形文化財として伝承されています。


●本来の衣服は「医服」の機能を持っていた

医服というのは、古来から身にまとうものという考え方とは違う、もうひとつのとらえ方で作られてきました。それは、衣服の「衣」を「医」としてとらえてきたということです。「医服」という考え方の延長線上に、染めによって生体を癒す技法である藍染などが生まれました。色には生体を癒す力があるのを知っていたのです。更に、絹や麻というような生体を癒す素材作りも行われてきました。


●自分の中の恒常性、そのものを癒してくれる服

生体には、常に、その活動の状況を「中庸」に導こうとする強烈な力が働いています。
シーソーの左右のバランスをとろうとするような力です。平衡感覚に近いものです。中国ではこれを中庸と言う言葉で哲学的に、日常の生き方として定着させてきました。

同様の意味合いで、日本ではホメオスタシス、恒常性という言葉がじりじりと拡がっています。それらをもっと身近に引き寄せると、それは「調和」と言う言葉になるでしょう。ほとんど身体の病が、心の病と連動していることは、多くの人々認識されてきています。

心を穏やかにして、まずいことも失敗も、すべて人生という波の一部だというような心の恒常性を強化していく発想は、とても大切です。


 
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